MENU
みなづち
@minaduchi
ゲイ×強迫性障害のぼく。そんなぼくのネットだから言える本音をゆるっと発信。現実世界では隠して生息してるけどネットではさらけ出している。ゲイを自覚して20年。強迫性障害を発症して15年。
当サイトへのリンクについて

「みなづちブログ」はリンクフリーです。リンクを行う場合の許可や連絡は不要です。引用する際は、引用元の明記と該当ページへのリンクをお願いします。

みなづちの活動を応援してみよう!

額から血がにじむまで頭を下げても「他人」:50年連れ添った同性パートナーが看取りから排除される国、日本

額から血がにじむまで頭を下げても「他人」:50年連れ添った同性パートナーが看取りから排除される国、日本
  • URLをコピーしました!

ゲイのみなづち(@minaduchi)です。

人生の最期に、愛する人の手を握ること。それは誰にとっても当たり前の権利だと思っていないだろうか。

しかし日本では、50年連れ添ったパートナーでも「法的に他人」として、その最期の瞬間から排除される人々がいる。

婚姻届を出せないという、ただそれだけの理由で。

異性カップルなら、出会って3年でも、1年でも、婚姻届を出せば「家族」として認められる。危篤の知らせを受ければ、当然のように病室に入れる。医師から説明を受け、最期の瞬間に立ち会い、手を握ることができる。

では、50年連れ添った同性カップルは?

答えは「法的に他人」だ。どれだけ長く一緒に暮らしても、どれだけ深く愛し合っても、法律の前では赤の他人として扱われる。

今回は、介護現場を想定した事実に基づく再構成フィクションと、実際の法的データをもとに、この問題を考えたい。

規則が愛を引き裂く状況、そしてなぜ施設側が「拒否せざるを得ない」のか、その背景にある制度の問題を。

本記事のポイント

  • 50年連れ添っても「法的に他人」扱い
  • 施設が拒否する背景には法的リスクがある
  • パートナーシップ制度に法的拘束力なし
  • 6件中5件の高裁が違憲判断を示した
  • 制度が変われば、現場も変わる

記事を書いている人のプロフィール

みなづちのプロフィール写真
みなづち
  • 僕はゲイ×強迫性障害
  • ノンケ→バイ→ゲイに心変わりしてきた
  • ゲイを自覚して20年ほど
  • Instagramを中心に発信活動しているクリエイター
  • 🌈 結婚する自由を、すべての人に。
目次

50年の愛が「規則」に負けた日

特別養護老人ホームで働く介護士がいた。担当していたのは80歳の男性。認知症の末期で、家族の顔も名前も分からなくなっていた。ただ一つだけ、彼が繰り返し呼び続ける名前があった。「ミナヅチ」。誰なのか、職員の誰も知らなかった。

認知症末期でも呼び続けた名前

毎日のように、彼は「ミナヅチ」と泣き叫んだ。食事の時も、入浴の時も、夜中に目を覚ました時も。

家族すら認識できないのに、その名前だけは決して忘れなかった。

50年という歳月が刻み込んだ記憶は、認知症でさえ消すことができなかったのだ。

危篤、そして駆けつけた「他人」

ある日、容態が急変した。危篤状態。

すると、一人の男性が施設に駆けつけてきた。息を切らせながら、彼は言った。

「僕がミナヅチです」

50年間、ずっと一緒に暮らしてきたパートナーだった。

しかし、法的には「他人」。婚姻届を出すことができない二人に、法律は何の保護も与えていなかった。

額から血がにじむまで頭を下げた

ミナヅチさんは施設長に懇願した。最期だけでも、彼のそばにいさせてほしいと。

しかし、施設長の答えは冷たかった。「家族のみです。規則ですから

ミナヅチさんは頭を下げた。額を床に押しつけ、何度も何度も頭を下げた。額にあざができるまで、彼は懇願し続けた。

「50年一緒にいたんです。最期だけでも、お願いします」

それでも答えは変わらなかった。「規則は絶対です」

50年の愛が、たった一言の「規則」の前で立ちすくんだ瞬間だった。

規則と尊厳のはざまで

このような状況で、施設職員はどう判断すべきなのか。規則と人間の尊厳のはざまで、多くの現場が葛藤を抱えている。

ある介護士は、その葛藤の末に、ミナヅチさんを居室に案内した。

ミナヅチさんが彼の手を握った瞬間、奇跡が起きた。ずっと苦しそうだった表情が、ふっと和らいだ。

「ミナヅチ…やっと会えた」

安らかな笑顔を浮かべて、彼は息を引き取った。

この介護士の行動は、職業倫理の観点から議論の余地がある。

しかし、そもそも「50年連れ添ったパートナーを他人として扱う」という規則自体が、人間の尊厳を踏みにじっているのではないか。

以上は問題を説明するための事実に基づいたフィクションです。以下に実際の状況を説明します。

「法的に他人」が奪うもの

なぜ50年連れ添ったパートナーが「他人」として扱われるのか。それは日本に同性婚がなく、パートナーシップ制度にも法的拘束力がないからだ。この制度の限界を正確に理解することが、問題の本質を知る第一歩になる。

パートナーシップ制度の現状

2025年5月末時点で、パートナーシップ制度を導入している自治体は532に達し、人口カバー率は92%超、登録件数は9,837組に上る(渋谷区×認定NPO法人虹色ダイバーシティ共同調査)。

数字だけ見れば、日本も変わりつつあるように見えるかもしれない。しかし、この制度には決定的な限界がある。

法的拘束力がないという現実

パートナーシップ制度は、自治体による「象徴的な認知」に過ぎない。法的地位を与えるものではない

具体的に何が欠けているのか。

提供されないもの:

  • 相続権なし(法定相続人になれない)
  • 税制優遇なし(配偶者控除が使えない)
  • 社会保障なし(遺族年金、健康保険の被扶養者認定なし)
  • 医療同意権なし(法的権限なし)
  • 自治体外では効力なし

税制上の格差を正確に理解する

異性婚カップルが受けられる配偶者控除は、所得税で最大38万円、住民税で最大33万円、合計で最大71万円の所得控除となる。

ここで重要なのは、これは「控除額」であり「節税額」ではないという点だ。

実際の節税額は、その人の所得税率によって変わる。たとえば所得税率20%の人なら、38万円の控除で約7.6万円の節税になる。

いずれにせよ、同性カップルはこの控除に自動的にはアクセスできない。法的婚姻が認められていないからだ。

「お願いベース」の脆さ

パートナーシップ制度は、病院や企業に法的義務を課さない。すべては相手の「善意」に依存する「お願いベース」の制度だ。

理解ある病院なら面会を認めてくれるかもしれない。しかし、「規則は規則」と言われれば、それまで。50年の愛も、法律の前では無力になる。

なぜ施設は「家族のみ」と言うのか

フィクションの中で、施設長は「規則は絶対です」と言った。冷たく聞こえるかもしれない。しかし、施設側にも「拒否せざるを得ない理由」がある。問題の本質は、施設の対応ではなく、施設をそのような判断に追い込んでいる制度にある。

法的リスクの回避

介護施設や病院には、入居者・患者のプライバシーを守る法的義務がある。

「法的に他人」である人に情報を開示したり、面会を許可したりすると、後から親族がクレームを入れてくるリスクがある。

「なぜ赤の他人を病室に入れたのか」「勝手に情報を漏らしたのではないか」。

そう訴えられた場合、施設側には法的な防御手段がほとんどない。

パートナーシップ証明書があっても、それは法的拘束力を持たないからだ。

同意権と責任問題

医療や介護の現場では、治療方針や処置について「同意」が必要になる場面が多い。

法的な配偶者や親族であれば、その同意には法的根拠がある。

しかし、同性パートナーには医療同意権がない

万が一、パートナーの同意に基づいて処置を行い、後から親族が「そんな同意は無効だ」と主張した場合、施設や医療者が責任を問われる可能性がある。

遺産・相続トラブルの懸念

高齢者の看取りの場面では、遺産や相続の問題が絡むことも多い。

施設側は、親族間(あるいは親族とパートナー間)のトラブルに巻き込まれることを避けたい

法的に「他人」であるパートナーを面会させたことで、後から「不当な影響を与えた」「遺言を書き換えさせた」などと主張される可能性もゼロではない。

施設にとって、最も安全な選択は「法的な家族のみ」というルールを厳格に適用することになる。

現場スタッフの判断権限

実際に対応するのは現場のスタッフだが、彼らには個別の判断を下す権限がないことが多い。

マニュアルに「家族のみ」と書かれていれば、それに従うしかない。

「50年連れ添ったパートナーです」と言われても、それを証明する法的書類がない。

パートナーシップ証明書を見せられても、「これは法的拘束力がありません」と説明されている。

現場スタッフは、善意で判断する権限を与えられていないのだ。

施設を責めても問題は解決しない

ここで重要なのは、施設や職員を責めても根本的な解決にはならないということだ。

彼らは、現行の法制度の中で、リスクを最小化しようとしているに過ぎない。

問題の根本は、50年連れ添ったパートナーを「法的に他人」として扱う制度そのものにある。

同性婚が認められれば、パートナーは自動的に「配偶者」となる。

配偶者であれば、面会も、医療同意も、情報開示も、すべてが当然の権利として保障される。

施設側も、リスクを気にすることなく、人間として当たり前の対応ができるようになる。

制度が変われば、現場も変わる。

83.3%が違憲判断、それでも変わらない現実

では、司法はこの問題をどう見ているのか。2024年から2025年にかけて、6つの高等裁判所で同性婚をめぐる判断が示された。結果は明確だ。5件が違憲、1件が合憲。実に83.3%の高裁が、現行制度は憲法に違反すると判断した。

6件の高裁判決

裁判所日付判決
札幌高裁2024年3月14日違憲
東京高裁(1次)2024年10月30日違憲
福岡高裁2024年12月13日違憲
名古屋高裁2025年3月7日違憲
大阪高裁2025年3月25日違憲
東京高裁(2次)2025年11月28日合憲

札幌高裁は憲法24条1項・2項と14条1項の違反を認定。福岡高裁は憲法13条(幸福追求権)の違反まで踏み込んだ。司法のメッセージは明確だ。「今の制度は、憲法が保障する平等に反している」

唯一の「合憲」判決

2025年11月28日、東京高等裁判所(東亜由美裁判長)が唯一の合憲判断を示した。

原告の一人は「悪夢のような判決」と語り、「この怒りを力に変えて、最高裁では笑顔でよい判決を勝ち取りたい」と述べた。

弁護団は「性的マイノリティに対する誤解と偏見に満ちた、特異な判決」と厳しく批判した。

最高裁での統一判断へ

6件すべてが最高裁に上告されており、2026年から2027年にかけて統一判断が示される見込みだ。

83.3%の高裁が違憲と判断した制度。

それでも今日この瞬間も、50年連れ添ったパートナーが「他人」として扱われ、愛する人の最期に立ち会えない現実が続いている。

私たちにできること

制度を変えるには、声を上げ続けるしかない。

具体的なアクション:

  • 署名活動に参加する
  • 選挙で候補者の政策を確認する
  • SNSで情報を共有する
  • 家族や友人と話し合う
  • 地元の議員に意見を届ける

小さな行動の積み重ねが、やがて大きなうねりになる。

最高裁の判断は2026年から2027年に示される見込みだ。私たちの声は、確実に届いている

まとめ:愛を守る法律を、この国にも

50年連れ添っても「他人」。額から血がにじむまで頭を下げても「規則は絶対」。これが、2025年の日本の現実だ。

しかし、施設を責めても問題は解決しない。彼らは現行制度の中でリスクを最小化しようとしているだけだ。

問題の根本は、50年のパートナーを「法的に他人」として扱う制度そのものにある。

6件中5件の高等裁判所が違憲と判断した。83.3%の司法が「この制度はおかしい」と声を上げている。それでも、法律は変わっていない。

しかし、希望はある。若い世代の約8割が同性婚に賛成している。経済界も多様性の観点から法整備を求めている。そして何より、最高裁での統一判断が近づいている。

制度が変われば、現場も変わる。施設も、病院も、リスクを気にすることなく、人間として当たり前の対応ができるようになる。

愛する人の最期に手を握ること。

それは、すべての人に保障されるべき権利だ。愛を守る法律を、この国にも。その日が来ることを、私は信じている。

この記事の元になった投稿はこちら:

Threadsで見る

この記事には、問題を理解しやすくするための事実に基づいたフィクションが含まれています。フィクション部分はプライバシー保護のため匿名化・再構成・表現調整を行っています。フィクション以外の内容はすべて公開情報に基づいています。

\ みなづちのSNSもぜひチェックしてみよう!/

額から血がにじむまで頭を下げても「他人」:50年連れ添った同性パートナーが看取りから排除される国、日本

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメントお気軽にどうぞ!

コメントする

日本語を含まないコメントはスパム対策のため無視されます。承認後の公開となります。以下の入力欄は任意です。

目次